「選択する」ことについて

センゲさんのサンドボックス。

Learning Sandbox

2013年6月、SoL主催「Leading for Sustainability Workshop」(現在は、Leading Sustainable Transformation に名称変更)より。


あなたは、今の自分の人生のあり方が、自分が過去に行った選択に関係していると思いますか?

誰にとっても、今の人生というのは、多かれ少なかれ自分で行った選択の影響を受けていると言えます。しかし、興味深いことに、この認識はとても広く共有されていて、ほとんど誰もがその通りだと感じているにも関わらず、私たちはあまり「選択する能力」を育てようとは考えていません。

ひょっとすると、この能力の育成に取り組むことで、私は選択という行為について、今よりもはっきりと意識できるかもしれません。そして、今よりベターな選択を行うことができるかもしれません。自分が今何を選んでいて、その選択が将来何を意味するのか、今よりも明確に認識できるようになるからです。

私たちはみんな選択をします。そして、それが今の私たちをつくっています。私たちが誰であり、何をしているか、どんな世界に住んでいるか、どんな人たちと一緒に暮らしているか等々、これらは私たちが選択を行った結果です。

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「私は選択をしてきた。なぜなら、そうしなければならなかったからだ」

それにも関わらず、多くの場合、私たちが行った選択に対する思考や行動を振り返ってみると、それらを支配してきたのは「環境」です。19歳のとき、どの大学へ進学するかを選択しなければなりませんでしたし、さまざまな場面に直面しては、あれやこれをどうするのかを選ばなければなりませんでした。私たちが「選択」をこんな風にしておくなら、これは問題だと思います。ロバート・フリッツは、こんな素晴らしい表現を用いました。「私たちの多くは、たくさんの意味で『勝利の瀬戸際で、敗北をつかみ取る』マスタリーを身に付けている 」。

複雑な話ではありません。選択をすることの本質は何だと思いますか?私たちの誰もが1人の人間として選択を行う、その根本となる前提は何でしょう?「自由」です。選択とは、私たちが自由で自律した人間であることを示す、最も根源的な表現だと言えます。これが、「私が選ぶ(I choose)」ということです。

さて、ここにある問題に気付いてください。私たちは、程度には個人差がありますが、「私は選択をしてきた。なぜなら、そうしなければならなかったからだ」と思い込んでいます。私はこれが問題だと言っています。私たちは、自分の人生とは自らの自由意志の表現=「選択」の結果であると分かっているにも拘らず、一方で、この能力を育てなければならないと気付いていません。その結果、ただ「選ばなければならないから」という理由で、選択を行っているのです。

実のところ、あなたが行う選択に環境は全く関係ありません。十字架のヨハネだったと思いますが、キリスト教の殉教者は、およそ3フィートの高さの監獄に25年間幽閉されました。そして、その体験の中で「エクスタシー」について本を書いたのです。

究極的に言えば、あなたが何を選ぶかに、環境は全く関係しないのです。1人の人間として、選択を行う能力とはつまり、「私が選ぶ。だから選ぶのだ」。それだけのことなのです

とてもシンプルなことです。あなたが望むもののリストから1つ項目を抜き出して、あなたが自分の自由意志に基づいて、それを手に入れることを選ぶかどうかを考えてみてください。私に続いて言ってみてください。ます、「I choose(私は選ぶ)」。そして、「I want(私は欲する)」。この差は何でしょうか?

参加者:

  • 「コミットメントと願いの違いだと思う」
  • 「(I chooseには)コントロールする力がある」
  • 「選ぶのは(欲しがるよりも)能動的なアクションだ」
  • 「欲するのは、ほしい物リストみたいなもの」

注意力に優れた人は「選ぶ」という行為を行うときのわずかなエネルギーのシフトに気付くでしょう。「欲しがる」ことと「選ぶ」こと、2つの間に違いがあることを、私たちはみんな知っています。

どうすれば実現できるかまるで分からないことを選ぶことはできますか?

ここで、みなさんが陥る可能性のある罠についてお話します。知っていれば陥ることがないのですが、ありがちなのは、「もし選択をしたなら、それを実行しなければならない。しかし、どうすれば実行できるのか、私には戦略がない(だからそれを選ぶことはできない)」というものです。私たちの多くが陥る考え方ですが、私はこれを手放してしまうことを強くお勧めします。大切なのは、戦略があるかどうかではありません。

この「自己マスタリー」というディシプリンの多くを占める重要なポイントは、いつ戦略の構築に取り組むべきかと、いつビジョンを明確にするべきかというディシプリンですが、ここに「いつ選択をするのか」を付け加えたいと思います。選択をするとき、どのようにそれを成し遂げるかを知っている必要はありません。どうすればいいのか手がかりも何もないかもしれませんし、たくさんのアイデアがあるかもしれません。はっきり言ってしまえば、このビジョンを実現するためどうすれば良いか全く分からないとして、そんなことはどうでも構わないのです。所詮、全ては思い込みだからです。(もしあなたがどうやって実現するかを知っていたとして、どうやってその考えが正しいかどうかを知るのでしょうか?

選択というのは未来のことです。どうすればいいか全く分からないかもしれません。逆にいくらかの、ひょっとしたら良い考えや、クレイジーな考えがあるかもしれません。でも、それは関係がないことです。それらはただの考えに過ぎないからです。ただの思い込みに過ぎないからです。もしあなたが、その「思い込み」にあなた自身の選択を委ねるなら、それがあなたの選択です。しかし、そうしなければならない理由はないのです


At one level, we all know that. Yet, most of us have never considered making choices as a core capability to develop. We all know that we all make our choices. That is how we turned out; who we are, where we are, we are doing what we are doing, we’re living in a world we live in, we live with people we live with, so and so forth, because we make choices that way. And yet, oftentimes, if you really examine our attitudes or assumptions about making choices, circumstances dictated. I was 19 years old, and I had to choose what college to go to. Or…

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